有形文化財建造物
<国宝>
・明通寺 - 本堂、三重塔
<重要伝統的建造物群保存地区>
・熊川宿(若狭町)
・小浜西組(小浜市)
気候
県内全域が日本海側気候で豪雪地帯(一部特別豪雪地帯)である。特別豪雪地帯の大野市・勝山市・池田町・南越前町の旧今庄町は全国屈指の積雪量であり、年間の降水量は多い時に3000mm以上に達する。ただし、近年は暖冬傾向で、降水量は昔に比べ減少しつつある。
一方で、特別豪雪地帯以外の地域は対馬暖流の影響により、冬でも比較的暖かく、雪よりも雨の日が多い。このために、「弁当忘れても傘忘れるな」という天気の格言が存在する。
鎌倉時代から室町時代まで
<鎌倉時代>
・島津氏・後藤氏等が守護職に任ぜられる。
・この頃になると廻船業が発達し、敦賀津や小浜津、三国湊などが整備され、海上交易が盛んになる。また、それらの港は年貢を京に輸送するための拠点ともなる。
・1243年には、道元が越前国志比庄にある吉峰寺(永平寺町)に入り、翌年に大佛寺(後の永平寺)を創建する。
・13世紀末以降には高田系浄土真宗が越前国北部を中心に広まる。
<室町時代>
・1336年、足利尊氏の入京により恒良親王、尊良親王を奉じて北陸落ちした新田義貞が金ケ崎城(敦賀)に入るが、越前国守護斯波高経の軍勢により翌年落城する。義貞は脱出するも、1338年に越前国藤島燈明寺畷(福井市新田塚)にて戦死する。この後も越前国内は戦乱が続き1341年、北朝方が平定する。この後、主に斯波氏が越前国の守護となる。しかし、実質的に越前国を統治していたのは守護代甲斐氏であった。
・若狭国では南北朝時代には守護の交代が頻繁に行われるが、1366年、一色氏が守護となり、国人一揆を抑えて若狭を支配する。しかし、1440年、一色氏の勢力拡大を恐れた将軍足利義教は武田氏を守護に任命する。武田氏は一色氏残党や一揆を抑えて若狭を支配する。
・15世紀後半になると斯波氏と甲斐氏の対立が深まり、やがて越前国内で内乱が起きる。最終的には幕府の支援を受けた甲斐氏が勝利するものの、応仁の乱時、朝倉孝景が台頭、甲斐氏に代わって越前国を掌握する。後に朝倉氏は戦国大名として勃興する。